ひさしぶりに

日記を公開することってどうなんだろうかとか、どうして私ごときが偉そうに人の展覧会について書いているのだろうかとか考えたり、もうひとつのお伊勢参りのブログを更新する際に必要なパスワードが分からなくなってしまい、しばらくブログを更新しないでいた。書くことはふわふわと落ち着かない気分を定着させるような作用があるように感じていて時折必要な作業だと思うのだがブログを更新しないと書かなくなる。そんなわけで久しぶりにブログを更新してみようかと思う。

中野の冬青社へ北井一夫さんの展覧会を見に行く。新中野の駅からすこし歩く。赤い建物が見えてきてガラスの向こうの北井さんに会釈をすると笑顔で会釈をかえしてくれた。中に入ると暖かい。写真は日常の中で見つけたさりげないユーモアやいたずら心、自らのルーツを見つめるストレートな気持ちなど。北井さんは「ゆっくりしていって」とあたたかく、すこしお話しをした。というか、いらしていた別の方と話しているのを私は聞いていた。北井さんは好奇心旺盛だった。優しい人と時間を共有すると優しい気持ちになれる。そんな人に私もなりたい。

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てくてくと歩く

今日は森山大道さんのお誕生日だなあと思う。いったいいくつになるのだろうか。年齢不詳のすてきな人。

竹橋の近代美術館へ。

レオ・ルビンファイン展。雑踏にまぎれて歩き回っているような感覚。みんな目の底が暗い感じ。悲しみにただ寄り添うような写真に寄り添って歩く。

4階の展示室に休憩室がある。自販機で飲み物を買って一面ガラス張りの窓からお堀の中の建物やお堀沿いの植物やお堀の水の色やお堀沿いを走ったり歩いたりする人を眺める。ぼんやり。

イケムラレイコ展。真っ暗な水の底に沈んでいるようで、そこにやわらかい薄日が射しているような印象。ゆっくり歩いて見て回る。詩のようなテキストの展示もすてきで歩く速度でちょうど読みやすい。

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虚脱

展覧会が終わって一瞬虚脱。

蒼穹舎の大田さんのところへなんとなくあいさつに行く。尾仲さんの話をしだしたらその瞬間、尾仲さんが現れた。噂力はすごい。

トーテムポールフォトギャラリーへ。はじめて下平さんにお会いした。見た目は今風で丁寧な方だった。あのよくテレビに出ている戦場カメラマンの方とどこか似ているような気がしたのだが気のせいかな。

少年老いやすく、、では、いい年の女は? 虚脱している場合ではない。

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うつりたくない気持ち

最近、目が痛い日が続いてテレビをあまり見なかったのだけれど、ニュースを見ていて気になったこと。

洪水の被災地で避難所にいる人たちがテレビカメラの存在に気付いて顔をタオルで隠したり、うちわで隠したり、向こうを向いたりしている。そういう人が明らかにたくさんいる。家にいるような格好でテレビに映りたくない、とかいう気持ちはあるかもしれないけれど、何か嫌悪の類いのものを感じる。

その根源が何なのか、知りたい。知ろうとするべきだ。自分の目で見て、自分の頭で考えなきゃだめだ。

ちなみに目の痛みは目の奥に極太まつ毛がささっていたためで、もうとったけど、すごく痛かった。

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湯治場

あっちであれして、そっちでそれして、なんだかあわただしい毎日。そんなにたくさんのことをしているのかどうか不明だが自らの作業処理能力が低いのと睡眠時間が長いので困る。燃費も悪く、ちょっとずつ食べてすぐにお腹が減る。

そんな私なりに忙しい時間の合間にぼんやりと先日見た写真を思い出す。おじいさんが湯気のたつ温泉場に裸で座り、尺八を吹いている。zen photoで見た北井一夫さんの「湯治場」という写真展の一枚。断捨離の本など読み、シンプルな日々を心がけてはいるが、セールのハガキがくれば初日に行っちゃおうかなと手帳をひろげる我が卑しさよ。たくさんのコレクションを所有しているであろうギャラリーオーナーのマークさんも裸で楽器だけをもっている素晴らしさを讃える文章を寄せていた。服を着て靴下をはいて時計をしてパソコンに向かっている私の目はしょぼしょぼで、楽器でもひきたいなと部屋を見渡せば、あった、津軽三味線。先日、ヤフオクで買ったやつ。でも、バチがない。確実にモノが増えている我が部屋よ。

あれは同時にユーモアもたたえたシンプルながら多義的な写真だったなあ。

さて、そろそろ、こっちでこれするか。

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コンビニの店員さん

 あー蒸し暑い日で疲れたなと近所のコンビニで夕食を求めた。合計金額が713円だったので1003円出したら290円おつりをくれた。ふつうだ。しかし50歳くらいの男性店員が「ちょっと打ち間違えまして〜」とくれたレシートを見ると「合計¥713/お預かり¥1031,003/お釣¥1030,290」となっている。そんなやつおらんやろ〜!と一人大いにウケた。が、とっさの判断で打ち間違えを相殺する臨機応変さはなかなかだ。

 私は日頃からコンビニの店員さんはすごいな〜と思っている。レジをやって、商品の補充をして、レジにお客さんが並んでいたら駆けつけて、おでん作ったり、からあげ揚げたり、宅急便やらなにやら処理して、ずっと座ることもなく。そしてアジアからの留学生らしき店員さんたちについては日本語も流暢で、なんと優秀な人なんだと尊敬のような気持ちを持っている。
 
 だから何ということもないんですが、そんな感じです。

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注文の多い料理店のような、、

 病院に行ってきた。治療すれば治る症状なのだが検査だけでも面倒だし、気が重い。しかしながら「ちょっとオーバーホールに行ってくる」と冗談めかして検査へ行き、心身ともに健康で活躍している某大先達もいるのであるから、そんなことくらいで沈んでいる場合ではない。

 検査のために採血するときに「今日は7本抜きますけど大丈夫ですか?」と聞かれた。すごそうに聞こえる。牛乳瓶が頭に浮かぶ。「それはどのくらいの量ですか?」と聞いたら「大さじ1杯くらいです」とのこと。妙に分かりやすい表現にウケて吹き出してしまったけど「針を刺すのは一度で、全部で約15cc」って言ってほしかった。

 ゴキブリをスリッパなどで叩くと生命の危機を感じて力が湧いてくるのか飛んだり走ったり卵を産んだりする。そんな感じでかえって元気になった本日であります。うおー!

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危ないことを面白く

 銀座のBLDギャラリーで森村泰昌さんの展覧会を見てきた。いくつかの作品形態があるが一貫して歴史上の人物、有名人になりながら危ないことをする。危ないけれど、ギリギリ危なくなくて、面白い側に持ってきている。素朴な疑問。あの切手は本当の切手として使えるんだろうか? 

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大きい人たち

 「彫刻家エル・アナツイのアフリカ」を見に神奈川県立近代美術館葉山別館へ。最終日でけっこう込んでいた。エントランスにアルコールドリンクのふたをつないで作ったタペストリー。小さな金属片がゆるやかに、かつ規則的に結合されたものが、ふうわりと天井近くから壁にかけられ、下部は床に垂れていた。

 前半は木彫の展示。嫁入り道具の臼の廃品をつかって女性や子供の薪運びをあらわした作品はストーリー性を含んで流れていくような作品。

 後半で展開されるアルコールのふた部分でつくられた巨大作品群が迫力。廃品を加工するために、心地のいい作業場へ、アシスタントたちが都合のよい時間にやってきて作業する。みんなで作業することの意味。「僕は西欧を許す」というアナツイ。この人、大きい。私、小さい。

 最後の展示室は外から太陽光が入り、金属の織物とそれを通過した光の明るさに包まれて楽しんだ。

 それから横須賀美術館へ。原口典之さんの「黒にもいろいろな黒がある」というのはなるほどと思った。写真では「白と黒の間にたくさんのグレイがある」というのは当たり前だけど、黒もいろいろあるのだ。一見シンプルで印刷で伝えるのは難しい黒の多様性。実物を見れてよかった。若江漢字さんは産業革命の影響とかイスラエルのこととか広島のこととか真剣に考えているのだが、作品の見た目が真面目くさっていなくて面白いと思った。

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ごはん

 朝、ご飯を炊く。いつも5合炊いて冷凍ご飯にしている。今朝は炊きたてのご飯と油揚げの味噌汁。おかずはないけどご飯が旨いからいらない。「美味しい」ではなくて「旨い」。海苔ものせたくない。あまい。生まれたときからずっと富山のおじいちゃんの田んぼで作ったお米を食べている。今はおばさんのEちゃんが田んぼを管理している。

 最近、Eちゃんの勤めていた会社が倒産して社内恋愛で結婚した旦那さんも失業して悲惨なんだけど、Eちゃんは「しばらく田んぼと畑やってのんびりします〜」とのこと。兼業農家というやつだったのだ。田んぼってすごい。『七人の侍』がビミョーに頭をよぎる。

 常に自分の目先のことしか考えていない私は親戚中で唯一、田んぼのお手伝いをしたことがない。でもお米はいつもあるから「食べれない」と思ったことがない幸せ者。

 万一あの田んぼでできたお米が食べられなくなるようなことがあったら、その悲しみは測定不能。

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